パーソナリティ
タイトルは個人的、私的な一貫した傾向という意味です。
僕は常日頃から自分のパーソナリティについて考えることが多いです。
どの人もやはり子供時代の影響が大人になっても人格形成に大きく関わっているんだなと思います。
子どもの頃の経験は大人になっても割と根深く残っているものです。
特にトラウマや悲しい思い出などは性格にモロに影響してくると感じます。
大人になってからなんで自分はこんなダメなところが多いんだろうとよく悩んでました。
ましたというか現在もなのですが。
客観的に自分の言動を紐解いていくと子どもの頃あんなことがあったな、など思い当たる節がやはりあります。
東京に出てきたばかりの頃の僕は自分をよく責めることをしていました。
その度に辛くなったり悲しくなったり、生きてる心地があまりしない時期もありました。
そこから知人のアドバイスによって過去の自分を振り返り、あの時悲しい思いをしたなあなど一つ一つ分析いきました。
僕は自分に対しても理想が高いというか完璧を求めようとしがちです。
その結果、理想に沿わない現状を嘆いてしまうのです。
知人曰く、過去の自分を許すというか大丈夫だよと励ますことがいいと教えてくれたのでそれを実践してみたら気持ちが楽になっていきました。
そして現在の自分を否定もせず肯定もせず認め受け入れる。
これがかなり大事な作業です。
歳のせいもあってかこの作業が容易になってきているというか、色々な経験をしてきたこともあってかしょうがないなあと割り切れることが多くなりました。
なんだかこれ大人になっていってしまっているようであまり昔は好きではありませんでした。
ただこれを繰り返しているうちに圧倒的に人生などを前向きに捉えられるようになりました。
余談ですがラッパー然りアーティストなどはやはり過去に壮絶な経験をしてる方がかなり多いです。
そういった方の作品は人となりを調べずともなんとなくフィーリングが合い気にいるものです。
そして後から調べてみたらやっぱりなんてことが多々あります。
そういった経験はできるだけする必要はないと思うのですがやはり作品の厚みにかなりの違いが出ると個人的には思います。
家族と友達
とても久しぶりに書きます。
意外と読んでるよーって言う声をいただいて本当に嬉しい限りです。
今日は友達と家族というばっくりしたタイトルですが自分のパーソナル部分についても書いていこうと思います。
今日、仕事中にひとりの友人が訪ねてきてくれました。
千葉君という小中学校が同じだった地元の友達です。
学生時代はそこまで関わりがあった方ではなかったです。
営業中にいきなり「俺のこと覚えてる?」
千葉君が話しかけてくれました。
ちらっと顔は見えてたのですが失礼な話、全く気づけず…
声をかけられてしっかりと顔を見ると当時の面影はそのままで少し垢抜けていました。
突然の旧友との再会に感動と驚きを覚えつつ、最近どう?と近況を聞きました。
実は精神病院に2日前までいたと彼は言いました。
僕は最初冗談なのかと思いましたが少し言うことを躊躇っていたことから本当なんだなと察しました。
どういう事情だったのかは割愛しますが普通の状態でないことは容易に理解できました。
そんな彼が退院後に自分の元へ訪れてくれたことが本当に嬉しかったです。
昔話も挟みつつ会話も盛り上がっていたころ、彼はふと寂しいんだ言いました。
全く同じ気持ちです。
僕もどちらかというと物事を悲観的に捉えるタイプなので漠然とした不安、先の見えない未来、地元を離れて気心の知れた仲の存在が少ないことなど、どうしようもなく答えのない問題をずっと解かされている感覚は僕もよく感じます。
彼はきっと僕のそういった部分に共感してくれて訪ねてきてくれたんだと思います。
彼は僕に友達になろうと言いましたが元より僕らはもちろん他人ではありません。
何言ってんだ、もう友達だよ
僕はそう答えました。
表現し難い暖かい気持ちに包まれ、冷めやらぬ興奮のままブログを書こうと思い今に至ります。
千葉君の気持ちがわかるということに関して僕自身が弱い人間であるのはもちろんのことですが他にも理由はあります。
僕の兄は3年前に鬱病を発症しました。
発症したばかりの頃はまともに会話もできない状態だったそうです。
僕は地元を離れているため弟や父に状況を聞くことしかしていませんでした。
先日、祖父が亡くなり地元へ帰る機会ができたので久しぶりに実家でゆっくりしようと思っていました。
久しぶりに会った兄に僕は少し戸惑いました。
想像していたより何倍も過酷な状態なんだと理解したからです。
僕の鬱病への認識は全くの見当違いでした。
しかし根は変わらずいつもの優しい兄の姿も見ることができて安心しました。
家庭の事情で弟と母とは別の家に住んでいたため兄弟3人で会話をしっかりしたのは数年前に亡くなった祖母の葬式が初めてでした。
そこで感じたのはとにかく兄も弟も真面目で優しく真っ当な価値観を持っているんだと思いました。
自分のいい加減な部分を少し分けてあげたいくらいです。
真面目で優しいが故に心のバランスを保てなくなってしまうんだと。
だから僕はどんなに小さなことであったとしてもその人が苦しんでいるなら理解するよう努め少しでも心の支えになれたらといつも思います。
僕自身すごく弱い人間な為、メンタルがあまりタフではない人の気持ちを理解するのにあまり苦労はしません。
今の僕はものすごく恵まれていると思います。
何かあったら絶対に助けてやると言ってくれる友達が一人でもいる僕は幸せ者です。
僕は自分の幸せも勿論のことですが、何より仲間や家族が穏やかに過ごせる世界であることが一番だと思います。
人はいずれ必ず死にます。
それを深く理解する必要があります。
無駄な時間などありません。
とにかく愛を持って何事にも取り組んで生きていたいと思います。
良くない思考に陥ることも勿論多々あります。
しかしその度に苦悩し、新たな希望を見出し、皆が手を取り合って過ごせる世界になることを望みます。
終盤宗教チックになってしまいましたがそんな気持ちです。
Peace
スパイダーマン スパイダーバース
少し前に見てきました。
スパイダーマンファンの僕にとっては外せない一本だったのでこちらも劇場で鑑賞してきました。
映画の公開に合わせてAJ1のスパイダーマンモデルが発売されたのですが抽選に外れて手に入れることができませんでした…
これを履いて見に行こうと意気込んでたのですが。
今作はスパイダーマン史上初の長編アニメーションらしいです。
内容自体も新鮮な展開でした。
Marvel作品を理解する上でマルチバースという概念があるのですがこの作品はこれがかなり大きく関係してくる物語です。
マルチバースとは多次元宇宙のことで日本ではパラレルワールド、並行世界という呼び方の方が馴染みがあるかもしれません。
そのマルチバースを通じて同じ世界に6人のスパイダーマンが集結するんですがそれだけでもう胸が踊る展開です。
尚且つ各々のバックボーン、特殊能力なども描かれてワクワクが止まりませんでした。
展開がとにかく軽快でそれはアニメならではかなと思いました。
とにかく映像へのこだわりが半端ないなと感じます。
実写では表現できないエフェクトというかサイケデリックな表現がふんだんに使われていて視覚からの情報がものすごいです。
わあ!すげえ!!!ってなりました。
今作が今までの作品と少し違うのは主人公が初めての黒人、そして人種や性別がバラバラな人物がスパイダーマンであるということ。
今作の最大のキーですね。
スパイダーマンがなぜ多くの人に愛されてるかというと何よりも親しみやすさかと。
親愛なる隣人 という異名からもスパイダーマンがあくまで現実離れした超人ではなく現実味をかなり帯びています。
その姿を見て誰しもが自分もヒーローになれると勇気付けられると思います。
他の方の記事で読んだのですが、2015年にリークされたソニー・ピクチャーズのメール文書から
ピーターパーカーは白人の異性愛者でなければならない。
と様々なスパイダーマンの取り決めが羅列されていたらしいです。
露骨な黒人差別、白人至上主義ですね。
このことから黒人がスパイダーマンの作品を求める声が大きくなりました。
ラッパーのLogicという方の曲でBlack spidermanという曲があるのですがこれがまたとてもいいです。
彼も白人と黒人の両親から生まれ、壮絶な家庭環境や偏見に立ち向かってきた人物です。
その彼がスパイダーマンはブラックになるべきだ。と曲中歌っているのです。
とても胸が熱くなります。
こういった背景があり誕生した今作のスパイダーマン。
そういった予備知識を備えて見るとまた違った角度から見れるかもしれません。
余談ですが僕が初めてスパイダーマンを劇場で観たのは2002年に公開されたサム・ライミ監督のスパイダーマンでした。
父に連れられて二人で観に行ったのですが見終わった少年時代の僕はスパイダーマンになりたい!と強く思っていた記憶があります。
そのサム・ライミ監督なんですがホラー界の巨匠と呼ばれるほどホラー映画をメインに数多くの作品を残されています。
そのサム・ライミ監督なんですがスパイダーマンの大ファンらしく、どうしても自分で映画を撮りたいと思っていたらしいです。
しかし技術的な問題やあらゆる面で制作までこぎつけなかったそうで。
そこでサム・ライミ監督は自身が監督する映画の要所でスパイダーマンを撮るのに必要になりそうなアングル、カット割りなどを盛り込んだそうです。
そして何作もそれを繰り返し自分はスパイダーマンを撮ることができる!と示したそうです。
この話を以前の記事に書いた斎木さんが教えてくれました。
より一層スパイダーマンを好きになりました。
アリータ バトルエンジェル
少し前ですが観てきました。
めちゃめちゃ面白かった!!!
最近は映像が凝っているものもよく好んで見るようになったのですがアリータは最高でした。
監督はタイタニック、アバターを手かげたジェームズ キャメロン。
流石のと言ったところでCGのクオリティが半端なかったです。
原作は銃夢という日本の漫画なのですがジェームズキャメロンがそれの大ファンということで映画化されたみたいです。
日本の漫画やアニメのキャラクターって目が大きく誇張されて描かれることが多いのですがアリータの特徴はその目。
漫画のような大きな目に少女の体。
日本の漫画ということでこの部分をどうしても撮りたかったそうです。
最初は違和感を覚えるかなあと思いきや人間よりも人間らしいロボットのアリータが本当に実在しているのではないかという錯覚に陥ります。
そこにあるのは今を懸命に生きる一つの命です。
原作も軽く読んでみたのですが所々変更はありつつもほぼ原作通りで感動しました。
スピード感とメタリック感が最高です。
IMAXでもう一度見たいです。
12人の死にたい子どもたち
昨日休みだったので見てきました。
劇場で見るというスイッチが入ってしまっている感じがします。
監督は堤幸彦監督。
キャストも若手オンリーでフレッシュでした。
内容は自殺サイトを通して集まった12人の安楽死志願者の子どもたち。
12全員で採決を取り全員一致で決行に賛成すれば即決行、1人でも反対者がいれば話し合い。
すぐに決行に決まると思いきや会場で誰も知らない若い男性の遺体が見つかり…そこから物語が展開していきます。
広告では密室脱出ゲーム?みたいな感じで煽っていましたが全然違います。
主に謎解き、遺体の真相にみんなで迫っていくといった感じです。
以前、どこかでコマーシャルを見て気になっていたのですがタイミングもよく上映されていたので勢いで見ました。
感想としては見応えはあったかなあという感じです。
サスペンスが結構好きなので結末がわからないものはワクワクします。
ただこの作品に関しては勘のいい方なら割と序盤で結末をなんとなく予想できるのではないかと思いました。
僕自身も多分こうなるかなあと思っていた感じになりました。
ただ序盤から要所要所に散りばめられた伏線を回収する様は爽快でしたね。
結末を知った上でまた見るのも面白いかもしれません。
登場人物全員が死にたいという意思を持っています。
それもかなり強い意思。
みながみな人生を諦めたのです。
以前から僕は思っていたのですが死にたいって感情は誰よりも強い生きたいっていう感情とイコールだと思います。
死があり生があるように。
生きたくて生きたくてしょうがない、だけどもうダメなんだっていう痛みが伝わってきて辛かったですね。
杉咲花ちゃんが出ていたのですが僕のイメージはクックドゥーのCMでぐっさんとモリモリご飯を食べるイメージだったので今回の役は新鮮に見えました。
すごくブラックで聡明。
でもぴったりでしたね。
堤幸彦監督作品のイニシエーションラブ。
これもめちゃめちゃ面白いのでおススメです。
アクアマン
見てきました!!!
待ちに待った映画です。
先日うっちーと休みが被ったので2人で。
個人的な感想としてはとても面白かったです!
内容もさることながら映像がとにかく綺麗。
物語の大半が海の中なのですがものすごい作り込みようでした。
最近、深海への興味が湧いていたのもあって映像もかなり楽しみながら見れました。
主人公がかなり魅力的。
これぞ豪傑と言った漢っぷり。
ヒゲモジャのルックスに筋骨隆々。
それでいて優しさに溢れ、どんな逆境でもユーモアも忘れない。
男が憧れる男ですね。
僕自身、アクション映画はそんなに見ないのですがMarvelシリーズだけはちょこちょこ劇場で見ています。
今回のアクアマンはDCヒーローですがやっぱりスケールがすごくて楽しめました。
監督はワイルドスピード スカイミッションを撮った監督らしく。
この方は、戦闘シーンの長回し、キャストの周りはぐるぐる回るカメラワークが特徴らしいです。
その通り、戦闘シーンはかなりの長回しでした。
途中どうなってるんだ、となってしまいましたが。
物語の大半が戦闘シーンなのでハラハラしました。
何人かの友人にあそこのあの点が気になったと言われましたがご愛嬌かなあと。
ヒーロー物の映画ってかっこいい!すごい!でかい!とかで見れたらいいと思います。
この物語はあのことをメタファーにしてるんだよとかもものすごく重要な要素だと思いますが単純に僕は楽しめました。
また見たいですね。
ここから余談ですが以前の記事で書いた斎木さんと何回か映画を観に行ったことがあるのですが初めて見たのはゴジラでした。
ゴジラのでかさを体感しよう!と息巻いていた斎木さんと一緒に一番前の席で見ました。
一番前の席ってほとんど座ったことがなかったのでかなり新鮮でした。
うわ!でけえ!!!ってなりましたね。
迫力がすごかったです。
そんなこんなで今年ゴジラの新作も公開ということで。
これもまた見に行きたいです。
リバース・エッジ
今日は仕事が休みだったのでネットフリックスで映画を観ました。
リバース・エッジです。
これまた先日書いたチワワちゃんの作者と同じ岡崎京子さんの作品を映像化したものです。
あらすじ
1993年に雑誌「CUTiE」で連載されていた岡崎京子の同名漫画を、行定勲監督のメガホン、二階堂ふみ、吉沢亮の出演で実写映画化。
女子高生の若草ハルナは、元恋人の観音崎にいじめられている同級生・山田一郎を助けたことをきっかけに、一郎からある秘密を打ち明けられる。
それは河原に放置された人間の死体の存在だった。
ハルナの後輩で過食しては吐く行為を繰り返すモデルの吉川こずえも、この死体を愛していた。
一方通行の好意を一郎に寄せる田島カンナ、父親の分からない子どもを妊娠する小山ルミら、それぞれの事情を抱えた少年少女たちの不器用でストレートな物語が進行していく。
(映画com.より引用)
という感じです。
ここからネタバレも含みます。
物語は終始どんよりとした雰囲気で展開していきます。
友人、恋人、セックス、ドラッグ、死体。
若い頃は自分の知っている世界が全てであると思いがち、そんな角度から青春を表現しているように感じました。
この物語にずっと付きまとうのが生と死。
死体を愛していた一郎とこずえ。
むしろ死体しか愛せない二人。
一郎が宝物と言ってそれをハルナにも見せる。
一郎とこずえは生を感じさせる人間たちに嫌悪感を抱いていました。
嫌悪感というか虚無感。
何も思わない、感じないといった感じです。
一郎とこずえがハルナに好意を持ったのはハルカが”死体"であったから。
死んだように生きている。
そんな感じの表現を目にした時があるかと思います。
ハルナがまさにそれだったんですね。
友達も彼氏もいるが何も思わないし感じない。
これは死を感じたことがないから。
生死は相対するものであって一方があって一方が成り立ちます。
つまり死を自覚しないと生きいるとは言えないということです。
そこに対してモヤモヤを感じている一郎とこずえにとって死体とは相反する存在、自分の生を肯定される気になるのではないかと。
そうしてハルナは死体やいろんなことを通して自分が死体ということに気づいて生きることを始める。
感じること。
若者の苦痛というか痛みが凝縮されている内容でした。
生々しい描写も多かったです。
そして見る人をかなり選ぶかなあとも思います。
どういうこと?ってなる人も多いのではないでしょうか。
岡崎京子さんの作品を近々で見ましたがかなり世界観にハマりましたね。
原作の方も追々チェックしていきたいです。