リバース・エッジ
今日は仕事が休みだったのでネットフリックスで映画を観ました。
リバース・エッジです。
これまた先日書いたチワワちゃんの作者と同じ岡崎京子さんの作品を映像化したものです。
あらすじ
1993年に雑誌「CUTiE」で連載されていた岡崎京子の同名漫画を、行定勲監督のメガホン、二階堂ふみ、吉沢亮の出演で実写映画化。
女子高生の若草ハルナは、元恋人の観音崎にいじめられている同級生・山田一郎を助けたことをきっかけに、一郎からある秘密を打ち明けられる。
それは河原に放置された人間の死体の存在だった。
ハルナの後輩で過食しては吐く行為を繰り返すモデルの吉川こずえも、この死体を愛していた。
一方通行の好意を一郎に寄せる田島カンナ、父親の分からない子どもを妊娠する小山ルミら、それぞれの事情を抱えた少年少女たちの不器用でストレートな物語が進行していく。
(映画com.より引用)
という感じです。
ここからネタバレも含みます。
物語は終始どんよりとした雰囲気で展開していきます。
友人、恋人、セックス、ドラッグ、死体。
若い頃は自分の知っている世界が全てであると思いがち、そんな角度から青春を表現しているように感じました。
この物語にずっと付きまとうのが生と死。
死体を愛していた一郎とこずえ。
むしろ死体しか愛せない二人。
一郎が宝物と言ってそれをハルナにも見せる。
一郎とこずえは生を感じさせる人間たちに嫌悪感を抱いていました。
嫌悪感というか虚無感。
何も思わない、感じないといった感じです。
一郎とこずえがハルナに好意を持ったのはハルカが”死体"であったから。
死んだように生きている。
そんな感じの表現を目にした時があるかと思います。
ハルナがまさにそれだったんですね。
友達も彼氏もいるが何も思わないし感じない。
これは死を感じたことがないから。
生死は相対するものであって一方があって一方が成り立ちます。
つまり死を自覚しないと生きいるとは言えないということです。
そこに対してモヤモヤを感じている一郎とこずえにとって死体とは相反する存在、自分の生を肯定される気になるのではないかと。
そうしてハルナは死体やいろんなことを通して自分が死体ということに気づいて生きることを始める。
感じること。
若者の苦痛というか痛みが凝縮されている内容でした。
生々しい描写も多かったです。
そして見る人をかなり選ぶかなあとも思います。
どういうこと?ってなる人も多いのではないでしょうか。
岡崎京子さんの作品を近々で見ましたがかなり世界観にハマりましたね。
原作の方も追々チェックしていきたいです。